「湯真藤子 個展」かわいそうなねこ

木之庄企畫では 11 月 07日から 11 月 28日まで湯真藤子の個展「かわいそうなねこ」を開催いたします。

十二支の起源にまつわる物語では、遥か昔中國の玉皇大帝が人々に干支を振り分けるため、
元日の朝、一番早く玉皇大帝の元に辿り着いた動物から順に干支に入れるという通達を受けました。自分たちの地位を向上させる機会を逃すまいと、どの動物たちも張り切って御殿へ向かう準備をしたのでした。

頭脳明晰な鼠はとっくに計画を立てており、前日から出発していた牛の背に飛び乗り、御殿の門が開いたと同時に牛の背中から降り、走って御殿に入ったので、早々に玉皇大帝の元に辿り着き、十二支の一番になりました。ところが猫は鼠が言った元日の次の日に辿り着かなければいけないという嘘を信じてしまい、のんびりと御殿に到着した時にやっと自分が遅れてしまったという事実を知ったのでした。こうして猫は十二支に入る機会を逃し、自分を騙した猫と天敵となるのでした。

これまで童話、神話、寓言を主軸にした創作を得意とする湯真藤子は、広く知られている十二支からインスピレーションを受けただけでなく、私たち誰もが知っている椅子取りゲームと十二支の座を獲得した動物たち、そして失意の猫を主役に迎え、それぞれのキャラクターを生かし、ドラマティックで濃厚な人物性を表現しています。

湯真藤子の手により十二支達は伝統的な寓言のイメージを覆し、豊満且つ妖艶で個性に満ちた美女と化したのです。彼女たちの表情はどの子も自信と驕りに満ちた笑顔と姿勢で自分がこのゲームの勝者であることを誇示しているようにみえます。それに引き換え十二支の座、つまり椅子を奪うことが出来なかった猫はというと、寂しそうに真ん中に佇み、自分の犯したミスによる自己嫌悪に打ちひしがれているのでした。

この勝者と敗者が鮮明に分かれている物語は、弱肉強食な社会に常日頃存在しているのです。学業、仕事、恋愛…誰もが己の目標を達成するために競争をしています。そして最後の最後になるまで誰が勝者か分らないし予測も出来ない、少し気を抜けば、自分の物かもしれなかった椅子が奪われてしまう。そう、それはまさに盛大な椅子取りゲームのように。

かわいそうなねこ、努力をしたのに一時の怠慢で栄光を掴むことができませんでした。もしかすると私たちもある時、または曾て失意と失望の中にいる可愛そうなねこだった瞬間があったのではないのでしょうか。

過ちにより悩み、苦しんだねこ。私たちにできるのは立ち上がり、過去を振り払い、自分だけの椅子を探し出すためにただひたすら運命に立ち向かう。しかし人生は遊戯とは違います、攻略法がないだけではなく、常に難題に悩まされ、様々な危険が潜んでいる。「肩の力を抜き、気軽な気持ちで人生の起伏に向かい合ってはいかがでしょうか?」湯真藤子の作品は私たちにそう訴えかけているようにも取れます。豊かな色彩と妖艶な人物描写はユーモアに溢れながらも強いインパクトで物語は構成されており、まさに湯真藤子自身の人生経験と感性から放たれるエネルギーを筆に込めたのです。

観る方は喜劇と悲劇が入り混じる構成に思わず微笑んでしまうのと同時に、彼女の人生に対する反省と悟りを感じることでしょう。

宏二郎 個展 「青の囁き」

沸き立つひとつの波は、大いなる海。大いなる海は、沸き立つひとつの波。そのひとつの波の煌めきは、深遠なる宇宙(青)の囁き―。

木之庄企畫では 9 月 26日から 10 月 24日まで宏二郎の個展「青の囁き」を開催いたします。

宏二郎は、内的世界と外的世界、生と死、光と影、存在と無、虚像と実像、自己と他者、人と自然、繋がりと隔たり、絵とそれに出会う人々…、様々なものの関係において曖昧さを増す「間」というどちらにも属さないところから自己の深淵をみつめ、移ろいゆく世界の普遍的な何かを探り続けている。「様々な価値観や文化は交錯し、人と人、人と自然との間合いが崩れつつある現代、私たちが今ここにいるということ、その意味や在り方を想像してみる。」と宏二郎は語る。

誰もが何かに繋がりと隔たりを感じ、そして見過ごしていく中で様々な思いが交錯する人間社会。そんな思いには頓着もせずただそこにあり、すべてを包み込む大いなる宇宙。

学説では地球が誕生して6億年経った頃、生命は海で誕生したといわれている。当時地表は強い紫外線や荷電粒子が容赦なく降り注ぎ,生命にとっては致命的な環境で生命が存在できる環境は海中だけだったという。起源はどうであれ生命の素材にあふれていた海で生命は誕生した。

私たち人類にとって海は子宮であり羊水なのではないのだろうか。自己もなく、他者もなく、正義も悪もない。深い海、際限なく青い海。青は地球、青は宇宙そのもの。海から誕生したと言われている生命は間違いなく私たちの体内に生き続け、海はただそこに在り続け、宇宙に包み込まれている、私たちは海の、地球の、宇宙の一部なのではないだろうか。

果てしなく遠い宇宙も、限りなく深い海も、私もあなたも、宏二郎が言うように、宇宙の深淵に繋がるのではないだろうか。その宇宙、そして海から届いた彼にとっての青の囁きが、皆様の心に響き渡れば幸いです。